南山進流声明の習い方

南山進流声明の学ぶ順序
南山進流声明を師匠より学ぶには、順序があります。お寺に弟子入りしてまずはお経の読み方からはじまり、十巻章(じゅっかんじょう・・・お大師さまの著作集)の読み方を習います。これをしばらく続けて、声の出し方や抑揚のつけ方を学習します。次に、祭文を習います。実際の法会に出仕して、大勢の前で読みますが、声が震えたり途中で止まってしまう場合も多くあり、これはこれでよい経験となります。祭文がすめばいよいよ『魚山芥集』(ぎょさんたいかいしゅう)に入ります。古来より、魚山の習い方に三通りあるとされています。
1、散花よりはじめる
2、三禮よりはじめる
3、讃よりはじめる
近年は、讃よりはじめる場合が多いようですが、これは実際の法会や勤行にすぐに役立つという理由であるようです。しかし、讃は大変複雑な曲で、初心者が讃からいきなりはじめるというのは適当ではないでしょう。三禮も主に老僧役が使う曲なので、低く声を出すため初心者には難しいものです。よって、散花よりはじめるのが適当とされています。(普門院 理峯師述)
散花より教え始めて三礼、唄とすすみ、讃、理趣経、唱礼と習い進んで『魚山集』が終わります。
『魚山集』がすべて終われば次に伽陀を習い、次に表白の唱え方を習います。表白には『御影供表白』と『大般若法則』によって、二種類の唱え方を学び、さらに法則類にすすみます。法則類はたくさんありますが、常楽会・仏明会・仏生会・土砂加持などの法則は習うべきものです。
法則類が終われば講式を習います。講式の読み方も二種類あり、『四座講式』を中心にしたものと『明神講式』を中心にしたものを習います。前者は普通の講式の読み方で、後者は祝言読みであります。この講式は大変難しく、永きにわたる修学によって声の使い方が自由になり、また声量も豊かになるといわれ、古来より“式三年”といわれるくらいで、師匠・弟子ともに力を尽くすのです。
講式が終われば秘讃・乞戒声明・大阿闍梨の声明と授けられます。この秘讃・乞戒・大阿の三つの声明を“三箇秘韻”として容易には授けず、よくよくその器量を見定めて伝授をされるのです。あらかじめ、非器のものには伝授はしませんという契約条を師匠に差し出した上で伝授を受け、伝授が終われば「声明印信」と「血脈」を授けられ、南山進流声明皆伝となるわけです。
その人の器量や環境によって皆伝となるまでは個人差があるでしょうが、最低でも5・6年は必要であるとされています。普門院 理峯師の述によれば、自らが満足できる声明になるまで修学すること30年と書かれています。
結局、声明は人間が出す声によって成り立つものでありますから練習意外に方法はないのです。また、宗教音楽である以上、歌謡曲などとは違い、信仰上の音楽であるということ。いわゆる、お唱えしている自分自身はもちろんのこと、聞いている聴衆をも三昧に引き込むほどのものでなければならないということです。いくら声がよく綺麗なものであっても、信仰が伴わなくてはならないというところが大変難しいものなのです。


南山進流魚山集 目次
『魚山芥集』は上述のように南山進流声明を習うための重要な教則本です。これは明応五年(1496)長恵師によって撰述されたものです。この本を底本にして近年に至るまで数多い教則本が写されたり、刊行されたりしています。長恵師のそれによる三巻(或いは二巻の説あり)の目次は以下のようになります。

禮・如来唄・云何唄・出家唄・散花・梵音・三條錫杖・九條錫杖・対揚(上巻)

金剛界五悔・胎蔵界九方便・後夜偈・理趣経・禮懺文(中巻)

四智梵語・大日讃・不動讃・四智漢語・心略漢語・仏讃・文殊讃・吉慶漢語・吉慶梵語・阿弥陀讃・四波羅密・金剛薩多・金剛宝・金剛法・金剛業・仏名・教化(下巻)


魚山の名称
南山進流声明では教則本名に“魚山”(ぎょさん)という単語を使用しますが、何をもって“魚山”というかと申しますと、その一説にインドの伝説があります。。その昔、お釈迦さまが梵曲音律の法を優婆梨尊者(うばりそんじゃ)という人に託しました。お釈迦さまが入滅されたあと、優婆梨尊者は“魚山”と呼ばれる霊山に入り、この山を根拠地としてこれを称道したというお話です。
また、中国古代の一説があります。それは、魏の武帝第四子、陳思王曹植(そうち)が、魚山(山東省兌州東阿の地)を訪れた際、空中に梵天の響きを聞いて心に感じ、その音律を模して声明を作ったというお話です。後者の説をとる場合が多く、その名前を借りて“魚山”と呼ぶようになりました。
なお、『魚山芥集』の名称は、長恵以後、進流のみで用いられ、醍醐では『声明集』、広沢では『法則集』『声明集』と呼んでおりました。


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